ホリエモンこと堀江貴文さんの著書に出てきた言葉だ。
最近のモヤモヤ感がこの言葉で晴れた。
自由な時間がない
最近時間がない。
仕事から帰ってきて夕飯とって、風呂に入ったら日付をまたいでたりする。
夜中の1時すぎに夜な夜な流しに積み上げられた洗い物をボーとしながら洗ったりしている。
子供が小さいこともあって妻が子供を寝かしつけたりするので、洗い物まで手がまわらず、分担的に洗い物は夫だったりする。
よねも一般的なサラリーマンとおんなじで、そんな平日を過ごしている。
世の中の子持ちのサラリーマンの平日の時間の使い方はそんなもんだと思っていたんだけど…そうだよね?
ところで、サラリーマンの平日の一日の自由時間の平均は二時間だそうだ。
あくまでも平均だから、残業すればするほどその時間はもっと少なくなっていく。
ましてや子供がいればなおさら時間がない。
まあ、みんな時間は平等に流れている。
時間がないから仕事も不満なのか?
仕事は自分の時間の切り売りになる。
やりたい仕事ならそれでも良いのだが、やりたくない仕事なら命を削って、仕事をしていることになる。
いつからお客さんや上司に怒られないように仕事をするようになったのだろうか。
システムエンジニアはシステムを作る職人である。
お客さんに喜ばれるものを作るのが仕事のはず。
なぜ、殺伐とした雰囲気で仕事をしなければならないのか。
プロジェクトリーダーとして、話しにくい雰囲気を作らないようにしてきた。
システムエンジニアは、コミュニケーションが一番に大切な職業だ。
会話をしないで良いものは絶対にできない。
殺伐と雰囲気な職場では、会話はなくなっていく。
こんな職場になってしまったのは、時間がない人がそんな雰囲気を作りだしているのではないだろうか。
これらもすべて時間がないことの弊害なのではないか。
時間がないから、やりたいことだけをやりたい
最近思うのは、自分のやりたいことに時間を使いたい。
無限のように感じられた若いときの時間が、最近歳をとって、無意識に有限に感じるようになってきたのだろうか。
最近の時代はうらやましい。
会社に入らなくても、お金を稼ぐ手段が出てきたからだ。
自分が入社するときには、そんな選択肢はなかった。
会社に就職して、定年まで勤めるのが当たり前の時代。
その流れに逆らうほど熱意もスキルもなかった。
そんな人生のレールから外れて、自分で歩くことは、当時ではかなりのいばらの道だったことか。
会社に入らず好きなことだけで、お金もを稼ぐことは難しかった時代だった。
時間がないけどサラリーマンも良いものだ
今やインターネットやスマホ、SNSが発達して、働き方が多様化してきた。
一般的な人生のレールから外れても、なんとか歩けるような道が最近整い始めてきている。
ここまで、時間がないことを書いてきて、「時間がないから会社を辞めよう」なんていう結論になりそうなのだが、そうではない。
「会社で働くは給料をもらうだけのところ」と考えるから、そんな結論になってしまうのだ。
会社で働くはそれだけではないはずだ。
以前にも書いたが、人との出会いもその一つだ。
入社しなければ、経験できなかったことはたくさんあるはずだ。
理不尽な経験もたくさんしてきただろう。
そんな経験は人生の幅を広げる。
ブラックな会社でなければ、会社で働くというものが、すべてがダメってことではないと思う。
最後に
タイムズマネーという言葉があるように時間が大切ということは、今までも十分理解しているが、結局何かするということもなく、目の前のやらなきゃいけないことをこなすのが精一杯になってきていると感じる。
子供が大きくなっていけば、もう少し時間的な余裕も出てくるとも思うのだが。
最近その時間のなさに最近はイライラしたり・・。
仕事の忙しさで時間を切り売りはあまりしたくないと最近考えるが、給料として一定額のお金がないと生活していけないのも事実。
みんなそんなジレンマと闘っているんだろうなと思う。
家族という守るべきものが多いと行動が慎重になってしまうのも仕方がない。
いろんなことを考えて行動するにも、間違いなく時間がないなあ。