棋士村山聖の生き方を知って感じたこと

普段仕事が遅いこともあって、テレビはニュースが中心なんだけど、昨日何気なくテレビをつけていると興味深い内容で、つい夢中になって観てしまった。

その番組内容はある人の生涯をドラマ仕立てにしたもので、自分に照らし合わせると、色々考えさせられたので、忘れないようにブログに書いておこうと思った。

東の羽生・西の村山

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その番組を観た後に調べてみるとと、「解決!ナイナイアンサー」という番組で、村山聖九段の生涯をドラマ(再現VTR)仕立てにしたものでした。

ちょっと調べてみるとこのサイトに番組の内容などが詳しく載ってました。

http://shogi1.com/murayamasatoshi-nainai/

将棋士としては、かなり有名な人のようですが、恥ずかしながら、よねはこの番組を観るまで全く知りませんでした。
将棋士といえば、羽生善治さんは有名なので知っていましたが、他の棋士は?って聞かれたら他は知りません。

まあ、こういうきっかけで将棋士を知り得たので、最近ニュース以外でテレビをまともに観てなかったので、もう少し観る時間を作ろうかなと思いました。

人生の終わりが見えてる人は強い

テレビの内容は上に紹介したサイトに譲るとして、観て感じたのは、

「人生の終わりが見えてる人は強い」

ってこと。

生きる目的や意味がわかっている人、自分のやりたいことがわかっている人たちは、意識が違うからやっぱり強いよなと思う。

何となく生活していると、明日も当たり前のようにやってきて、当たり前のように会社に行って、漠然と毎日を送ってしまっているよなと。

番組では、聖さんのこんなエピソードをやっていました。

寝る前に水道の蛇口を少し開けて水が下に落ちるようにし、水滴が垂れて音が出るように寝ることで、朝起きた時にもその音を聞いて、今日も生きていることを確認した

聖さんにとっては、明日は当たり前にやって来るものではないのだ。

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今を生きる

聖さんは13歳のとき、両親にお願いする。

プロ棋士になりたい。 僕には時間がないんだ。

人生長いに越したことはないと思うけど、長ければ良いというものでもないよなと。

自分は何がしたいのか。
自分は何をしていくのか。
自分は何が出来るのか。

今自分が後何年しか生きられないとわかったとして、何がしたいのか。何が出来るのか。
聖さんのような、そんな生き方が出来るものなのか。 

「今を生きる」

聖さんはそんな生き方なのではないだろうか。

自分は今を生きているのだろうか。

好きなことを仕事にする

仕事論になるけれど、学生の頃から仕事は、

「お金や楽な仕事という理由で選ぶのではなく、好きなことをやりたいことを仕事にしたい」

と思っていた。
社会人からみると、そんなことは学生の頃の理想論だよなと言われてしまうかもしれない。
よねも今は、仕事はやっぱり公務員が良いよな、なんて思ったりすることもあるけれども、自分の子供には

「好きなことを仕事にした方が良い」

とやっぱり言っていたい。

好きなものを職業にしてしまうと好きなものだったはずが、好じゃなくなってしまう。
好きなことは仕事ではなくて、趣味として続けていれば良かったなんて話も聞いたりもするけれども。

最後に

紹介されたサイトでは、将棋に少し詳しい人が観ると番組の構成上少しやらしい部分がみえたり、美談で終わる番組も違った見解もあるんですね。
ここには書かないので、詳細は上に紹介したサイトをみてほしいですが、将棋に関して素人からするとそんなことは気になることもなく、すごく心に残る良い番組でした。
 
テレビではやっていなかったですが、聖さんは1998年8月8日、29歳で亡くなりました。
薄れていく意識の中で「……2七銀」が最後の言葉だったそうです。

もう言葉がありません。
そのエピソードだけで、なにかを感じるものがある。

こんな村山聖さんの生き方。
ブログに残しておきたくて、書いてみました。

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